『幻想文学講義』

 この大冊は引越直後に屆いたので、荷解きやら病臥やらでじつくり讀む暇(いとま)が得られませんでした。暫く前から少しづつ、お行儀の惡い拾ひ讀みをしてゐますが、総勢74名が語るさまざまな話題は、さすがに讀み應へがあります。中でも澁澤龍彦さん、荒俣宏さん、中井英夫さん、日影丈吉さんとか、やはり面白いですね。インタビューといふものは、ずつと同じ人が擔當してゐても、相手によつて出來不出來がありますね。聞き手が乘つて遣らないと隙間風が吹いたりしますからね。
 全篇讀破した譯ではないのですが(讀みたくないものだつてありますからね)、今のところ、あの皮肉屋だつた中井さんが、幻想文学なるものの現状(1983年當時)に就いて問はれて、

「たしかにこうした形で関心がもたれること自体は歓迎すべきことだと思いますがね、ただ、あんまり面倒見がよすぎるのは、ちよつと問題だなという気がぼくなどするんですよ。どういうことかというと、《幻視の素質》とでもいいますか、そうしたものと本来無縁の作家が、たまたま幻想味の横溢した作品を書く場合がありますよね。それと、やっぱり素質として、そこから離れられない人との区別というものがあってしかるべきで、それを誰でも彼でも含めてしまったら、幻想文学そのものが成り立たなくなるように思うんです。だから、異質な連中に対してはもっとソッポ向いてですね(笑)、異端としての自分というものに屹立しないといけないのではないかという気がする。」

 云々と語つてゐる條が最も印象に殘つてゐます。此の本の編者の東雅夫さんは、幻想怪奇的な要素があれば如何なる作者のどのやうな作品でも記録に殘しておかうといふ態度をとつて來られたやうにお見受けしますが、此の中井さんの發言をどう受け止めてをられるのか、ちよつと氣になりますね。
 それから『幻想文学講義』といふ標題を見たとき、些かの抵抗を覺えました。編者の序文に「……本書をまとめるにあたり、総てのインタビュー記事を読み返してみたのだが、この仕事に携わったことで、自分はなんと贅沢なレクチャーを受けてきたことか……との感を更めて深くした。以て本書を『幻想文学講義』と命名する次第である。」といふ條を讀み、命名の意圖は解りましたが、それは飽くまでも東さんの感懐であつて、インタビューを受けた人たちには講義するつもりなどあつたかどうか……。「講義」には上から施すやうなイメージがあり、語り手には寧ろ「談義」とでもしていたゞいた方がありがたかつたかも知れませんね。
 私の分は《日本古典文学幻想コレクション》を出した時に受けたインタビュー「古典の魅力を伝えたい」が掲載されてゐます。自分としては『歌舞伎ワンダーランド』の刊行時に受けたものゝ方が良かつたのに……などと思ひ、バックナンバーを繰つて件(くだん)の記事を探しましたが一向に見つかりません。雜誌を収めた棚を探索すること數十分餘、幻想文学出版局が出してゐたブックガイド・マガジン「BGM」が視野に入り、呀(アッ)と思ひました。「歌舞伎は読んでも面白い」なる記事が載つたのは此の雜誌だつたので、もともと撰擇の對象にはならなかつたのでした。


幻想文学講義: 「幻想文学」インタビュー集成

幻想文学講義: 「幻想文学」インタビュー集成