朱(あけ)に牽かれて源氏再讀

 昨年9月末の或る晩、お仕事歸りに立ち寄られたMr.Vermilionと談笑の折(私は肺炎に罹り自宅療養中でしたので緑茶、客人は勿論YEBISUの生缶)、話題が『源氏物語』に及びました。「いつか讀みたいと思つてゐた」と仰有るので、「これを機會に」と原文での繙讀を奬めたところ、「原文では齒が立たないから、現代語譯で」との御返答、「代表的な譯者は、まづ與謝野晶子、次いで谷崎潤一郎、そして円地文子」と應じると、「円地譯の揃ひを古本で見つけたら買はうと思つてゐた」云々。「何ですと、円地譯なら新潮文庫の6冊本がありますよ」と私。此處に移つてほゞ一月(ひとつき)、文庫本の類は未だ段ボール箱の中にて其の數およそ20箱、内容を大雜把に記したラベルを頼りに見當をつけて開けると與謝野源氏・谷崎源氏の文庫版ともども容易く見つかつたので、同時に出て來た円地文子の隨想風評論『源氏物語私見』も附けて進呈致しました。

源氏物語』は世界最古の長篇(然も大長篇!)にして頗る興趣に富んだ小説であります。かつて私は『サライ』誌の《この一冊》といふ欄のインタビューに應へて次のやうに喋つたことがあります(一部改訂)。

「『源氏物語』は、西洋にまだ長篇小説と言へるものが出現してゐない11世紀初めに書かれてゐます。中國でも『紅樓夢』などの長篇が登場するのは明(ミン)の時代(14〜17世紀)ですから、『源氏物語』の凄さがわかります。十代の頃から好きだつた歌人與謝野晶子の譯本が呼び水となり原典に觸れました。その後、谷崎潤一郎円地文子の譯も含めて何度も讀み返し、素敵な逸話(エピソード)や登場人物の名前など空で言へるやうになりました。それでも、もう一度原文を讀み返したいと思ふところが隨所にあるのです。
 例へば、光源氏は常に周圍から美貌を讃へられますが、たゞ「うつくしい」とあるだけです。それが「紅葉賀」の巻では、清涼殿の前庭で見事に舞ふ源氏を見て、政敵の弘徽殿女御が「神など、空にめでつべき容貌(かたち)かな。うたて、ゆゝし」と吐き捨てるやうに言ふのです。「鬼神(きじん)などが空から見て歎賞するのではないか、まあ、氣味が惡い」といつたやうなことでせうが、相應(ふさ)はしい現代語が思ひ當たりません。こんな處に光源氏の美の實態が窺はれるやうに思ひます。
 また「若菜」の巻では猫がきつかけとなつて柏木といふ貴公子が、光源氏中年からの正室女三宮(をんなさんのみや)と密通します。女三宮の形代(かたしろ)として件の猫を可愛がる柏木を見て、彼に仕へる女房たちが「あやしく、にはかなる猫の、時めくかな」と陰口を叩きます。「新參猫が不思議と御寵愛を受けてをりますわね」となるのでせうが、現代からみても面白く、かつリアリティの觀じられる表現です。『源氏物語』には、かうした瑣末的な部分から得る愉しみも澤山あるのです。」

 私の知る範圍ですが、古今東西の小説に通じた讀書家でも〈源氏未讀〉といふ人は少なからずいらつしやつて、殘念といふか、何故といふ思ひを抱いてきました。左樣なわけで、Mr.Vermilionが「讀みます」と仰有つた時は心底嬉しく思ひました。然し「本當に讀み通してくれるかしら、須磨源氏で終はらなければいゝけれど……」といふ一抹の懸念が無かつたわけではありません。時々「いま、何の巻ですか」と尋ねると、「若紫」とか「葵」とか返答があり、着實に巻を重ねる樣子にて、「澪標」と聽いた時には「あゝこれで須磨の關は越えた……」と胸を撫で下ろしました。
 そして今や第三十三帖「藤裏葉(ふぢのうらは)」にかゝつてゐる由、「初音」から「行幸(みゆき)」まで六條院の四季繪巻に沿うて光源氏の榮華が描かれ、次の「藤袴」「眞木柱(まきばしら)」「梅枝(うめがえ)」の三帖にて此れまでの種々の縺れも解決をみるので、「藤裏葉」は大團圓とも申すべき巻と映ります。

「御かたち(冷泉帝の御容貌)、いよいよねびとゝのほり給ひて(大人びるにつれて整ひ給うて)、ひとつもの(光源氏と瓜二つ)とぞ見え給ふを、中納言(夕霧、冷泉帝の異母弟)、さぶらひ給ふが(其處に侍してをられるのが)、ことことならぬこそ、めざましかれ(源氏、帝とそつくりでいらつしやるのは、驚くべきことです)」

 冷泉帝の六條院行幸により、三つの美しき相似の容貌が一同に會し、また嘗ての親友・頭中將(此の巻では内大臣)との間に生じた溝も夕霧と雲井雁が結ばれることにより修復されて藤原氏との融和も成り、此の巻に至つて源氏一族の榮華は絶頂に達するのであります。《光源氏の榮華物語》ならば此處で完結しても一向に差閊へなく、過去には「紫式部が書いたのは此處まで」といふ説も有力視された時期もあつたやうです。然し、物語は次の「若菜」で大きく舵を切つて、己が過去に復讐されるかのごとき源氏を描き始め、其れは因果應報といつた單純な筋運びではなく、恰も近代小説のやうな展開を辿るのであり、Mr.Vermilionも此の長篇の強(したゝ)かさに新たな魅力を覺えて、おそらく「雲隱れ」までは讀み通されることでせう。

 源氏は、異母兄(朱雀院)の達ての願ひを容れて正室として迎へた若き妻(女三宮)を藤氏随一の貴公子(柏木衞門督、夕霧の親友)に寢取られてしまひます。かつての源氏ならば考へられぬ事態でありませう。折口信夫は「傳統・小説・愛情」といふ短文の中で次のやうに記してゐます。

「源氏にとつては、憎くて憎くてならぬのである。ことし四十であるが、今もちつとも形は衰へて居ない。其を誰よりも一等よく知つてゐるのも、源氏自身である。臣籍に降つてはゐるが、上皇に準ずる待遇を受けて居る自分だ。それに、位置・才能・教養から言つても、自分の足もとにもよりつけぬ男が、唯若いと言ふ一點だけで、一度だつて人に遜色(ひけめ)を感じたことのない自分から、愛を盗んで行つた。かう考へることのくちをしさ。しみじみと年をとつたと言ふことのあぢきなさを、感じさせられた腹立たしさ。第一、この美しい昔のままで、而も更に成熟した閑雅なおれの容貌が、どうなるのだ。あまつさへ、さう言ふ憤りを表白することの出來ぬ自分――さしあたつて當然守らねばならぬのは、皇女出の北の方が生んだ若君は、思ひがけなくも自分の胤(たね)でないと言ふ秘密であつた。どんなことがあつても、自分だけの知つた秘密として、おし通さなければならない。其を知つたものが、自分と北の方との外の一人があつた。衞門ノ督(ゑもんのかみ)だ。さうした俗世間へ落ちこぼれ易い知識は、どうしても除かねばならぬ。(以下略)」

 柏木は源氏に對する後ろめたさと恐れに苛まれ病(やまひ)づいて逝き、女三宮も自ら髪を下ろしてしまふが、源氏は其れを平然と眺めてゐる……、折口曰く「源氏讀みの人々からは、圓滿具足した人格のやうに見られてゐる源氏が、かう云ふ殘虐を忍んでするのだ」云々。「若菜」「柏木」二帖の魅力はかういふ處にこそあるのだと思はれます。

 Mr.Vermilionが着々と讀みすゝめるのを見て、私も我慢出來なくなつて原典を讀み始めたのですが、久しぶりの通讀ゆゑか、或は頽齡のせゐか、以前のやうに捗りません。遇と思ひついて晶子の譯本(昭和13−14年刊行の新々譯。架藏本は後年の角川文庫版ながら正漢字・歴史的假名遣)を取り出して、閊(つつか)へた箇所を參照してみると、國文學者の註釋などよりも役に立つことが判明、巻が更まるに際して晶子譯にざつと目を通してから原典を披くと實によく判り、捗るのであります。いつたい、此の物語では登場人物の名もはつきりとは書かれてをらず、空蝉・夕顔・葵などといふ女君の名も當時の讀者達が附けたものと申しても差閊へありません。誰が何と言つてゐるのか、主格を捉へるのが難儀な箇所も少なからずあるのですが、晶子は煩瑣を厭はず其れを一々書き込んで譯してゐます。比べて、優雅で誠實と評されることの多い谷崎潤一郎の譯本は、原典の趣を活かすと見せながら肝心の處が曖昧に處理されてゐるなど、かなり鵺(ぬえ)的なので、私は採りません。
 結局、私は與謝野源氏併讀といふかたちで一ヶ月ほどにて「雲隱れ」まで辿り着きました。『源氏』の通讀は思ひ立つても直ぐに實行といふ譯には中々まゐらぬのですが、Mr.Vermilionのお陰で思ひがけなく讀み通すことを得たのであります。因つて「朱に牽かれて」と題する次第であります。