豆本肉筆歌集『白鳥五衰』

『白鳥五衰』と題する肉筆豆本歌集を出したことがあります。最近此の本を入手なさつた国枝さんといふ方から「判讀しかねる箇所があるので教示してほしい」といふ御主旨のコメントが寄せられました。
 件の歌集は折本仕立、變體假名を多用した毛筆で八首の歌が書かれてゐます。四半世紀以前の事であつたと顧みられますが、現物が無いので判然としません。試し書きの折本が殘つてゐる筈ですが、二年前の引越の際、何處に藏(しま)つたのか、見當たりません。
 版元は豆本専門の未來工房といふ書肆にて、さる古書店の目録に載つてゐた私の墨書筆跡を偶々見かけたとかで、〈肉筆豆本歌集〉の出版を打診してきたのだと記憶してゐます。多分、豆本の著書が一冊ぐらゐあつてもいゝ……といつた輕い考へで引き受けたのだらうと思ひます。ギャランティーも惡くはなかつたのです。
「少部數(二拾部限定)ゆゑ著者獻本は無し」といふ條件であつたと思ふのですが、PCの中に書影が殘つてをりました。こんなものを撮つた覺えは全くないので、何やら狐につまゝれたやうな氣がします。
 八首の主題は《ルートヴィヒⅡ世に寄する鎭魂歌》のごときものでありますが、果たして此の肉筆豆本の爲に詠んだものなのか、其れに就いての記憶もありません。何はともあれ、八首の歌と書影を御覽に入れませう。

  白鳥に五衰はありや たとふれば美しかりしババリアの王
  ババリアと呟くときに美しき王顯(た)ち辿る樅の迷ひ路
  ワグナーに狂(た)ぶれし王よ霧深き黒き樅の森をさまよひゐるべし
  憧憬(あくがれ)は騎士とロココに引き裂かれ描けば歪む紋章の百合
  白鳥の騎士ならざればいとせめて營なむ夢の城と音樂
  薔薇島に波うちよする千一夜 夢占ひに滅びゆく王
  碑(いしぶみ)の缺(か)けし花文字なぞりしが忽ちにして湖水に沈む
  白鳥に五衰ありとしてまづ想ふ 黄金(わうごん)の銹(さび)噴けるくちばし

 三首目の「黒き樅の森」には「シュヴァルツヴァルト」とルビを振るべきですが、スペースが足りないので省略、爰(こゝ)に註しておきます。因みにこれらの歌は1989年2月に上梓したエッセイ集『世紀末少年誌』の「白鳥王の夢と眞實〜ルートヴィヒⅡ世とオペラ」に添へる形で載せてゐますが、「黒き樅の森」の一首は切り出されて代はりに「ワグナーの音の網(チュール)の魔に捲かれ耳喪ひしあゝ愚者(パルジファル)」といふ歌が插入されてゐます。また、五首目の結句が「城と劇場」と改變されてゐます。