新国立劇場『ローエングリン』公演

先月下旬から今月初旬にかけて東京初臺の新国立劇場にて『ローエングリン』の
公演が催されました。依頼を受けてプログラムに「ルートヴィヒ2世ワーグナー
といふ一文を寄せましたら、公演に招待されました。ワーグナーの歌劇・樂劇は
1980年代に歐州からの來日公演を一通り聽きましたが、其の後ほとんど聽く機會も
無く打ち過ぎたので、出かけるつもりでゐたところ、直前に體調を崩し4時間半の
公演には到底耐え得ないと判斷、頂いたチケットを無駄にする譯にはまゐらない
ので、オペラに精通してゐる友人菅原多喜夫さん(四谷シモンさんのアシスタント
マネージャー)に行つていたゞきました。
 タイトルロールはクラウス・フローリアン・フォークト(最近人氣のワーグナー
テノール)でしたが、多喜夫さんの御感想は「力任せの一本調子の歌い方ではなく、
弱音をきかせた抑制のある唱法ですばらしかった」とのこと、演出(映像の脚本家・
演出家・俳優としても知られるマティアス・フォン・ノイマン)に就いては「大道
具も書割も使わないシンプルなもので、結局、白鳥はまったく出てきませんでした。
ただ、シンプルな分だけ、台本の矛盾もそのまま表面に浮き彫りにされる感じで、
あれでは、男論理に振り回されるエルザが気の毒だと同情してしまいました」云々。
 どうやら此の演出は私が苦手とする類のもののやうであります。ルートヴィヒが
ワーグナーの作品に望んだのは「聖杯の騎士やラインの英雄の世界を叶ふかぎり
具體的に眼前に觀ること」で「眞實味の濃い舞臺裝置の上に、神話や傳説の主人公に
相應はしい容姿・裝束の人物が登場し、言葉が發せられ、全體を莊巌する爲の
音樂が奏でられねばならない」のでありましたが、私の望むところも其れと大差は
ありません。此れでは迚ものことに眞摯なるワグネリアンのお仲間には容れて
いたゞけないでせうね。