重陽の節句

 本日は新暦重陽(チヨウヤウ、五節句の掉尾)、太陰暦では今の十月十日頃に當たります。中國の故事に倣つて奈良時代あたりから此の日に宴を催し菊花をひたした酒を飲むなどの風習が生まれたと傳へられてゐます。菊の節句とも稱へる所以でせう。御存じの通り、花札の九月の札は菊の花で、其の拾點札には壽の一字を書いた觴(さかづき)があしらはれてゐます。

 花札の菊

 菊花文樣

 菊花紋

 白菊

 葛飾北齋に「巴錦」といふ菊を描いた錦繪があり、此の菊は、北齋が長きに亙つて逗留した信州小布施にて今も栽培されてをり、昨秋十一月半ば過ぎに北齋由縁の巌松院(鳳凰の巨大な肉筆天井畫が殘されてゐます)などを訪ねた折、北斎館で此の花の實物に接することを得ました。

 おしまひに、菊に關はる物語で佳いと思ふものを三作擧げておきます。第一に擧ぐべきは何と申しても上田秋成の短篇讀本集『雨月物語』集中の「菊花の契(ちぎり)」です。「青々たる春の柳、家園(みその)に種(うゆ)ることなかれ。交りは輕薄の人と結ぶことなかれ」と始まる此の物語は男同士の死を賭した友愛を描いてゐますが、種々深讀みを誘ふところがあり、古來樣々な解釋が唱えられてをります。
 あとの二つは、内田百間の短篇「菊」と中山義秀の長篇『厚物咲(あつものざき)』を擧げておきませう。太宰治に、中國清代の怪異短篇集『聊斎志異』集中の「黄英」を翻案した「清貧譚」がありますが、これは原典の方が優れてゐますね。小説以外のものでは能の「菊慈童」が好きです。

 厚物咲