遠來の客:劉靈均さん

 過ぐる9月4日、關東に滯在中の劉靈均さんがお仕事の合間を縫つて千曲まで
お越しになりました。劉さんは臺灣の方で神戸大學に在籍中。專攻は【文化構造:
國文學】の由ですが、日本語を流暢に話されるので他に日本文學の研究・飜譯、
中國關係の講演やシンポジウムでの通譯など、多岐に亙り活躍してをられます。
 私の仕事にも關心をお持ちで、益岡和郎さん(嘗て朝日カルチャーセンターの
私の講座を長いこと受講して下さつた方)を通じて對面の打診があり、昨年の春、
東京で一度お目にかゝりました。私の掌編・短篇を臺灣語(福■語:■は人偏に
老)に譯したいとのことにて其の許可を求められたので、私は即座に「どうぞ」と
應へました。
 其の後、劉さんは【如何「世紀末」「少年愛」「讀本」:編輯家、小説家、翻
譯家須永朝彦與呉繼文(いかに「世紀末」「少年愛」「讀本」になるのか:編輯
家、小説家、翻譯家須永朝彦と呉繼文について)】と題して、私と臺灣の作家呉
繼文氏とに就いての論文をお書きになりました。コピーを頂戴したものゝ殘念な
がら私には臺灣語を讀み解く素養が缺けてゐます。孰れ日本語に譯されるさうな
ので、其の日を待ちたいと思ひます。

 扨(さて)4日のこと、10時40分過ぎに千曲驛に到着されました。此の時間に
着くには凡そ2時間前に東京驛で北陸新幹線に乘らなければなりません。上田驛
には1時間30分餘で着きますが、しなの鉄道(舊JR信越本線)に乘り繼がねばな
らず、どうしても2時間餘かゝつてしまふのです(最速新幹線なら、もう金澤に
着いてますね)。
 自轉車で迎へに行つたのですが、もう列車は着いてゐました。改札口には誰も
をらず、如何(どう)なすつたのかとホームを見遣ると、劉さんは悠然とスマホ
で邊りの景色を寫してをられました。驛から徒歩にて15分ほど、住宅と水田・畑
地が入り混じる景色が珍しいのか、垂れ下がる稻穗や咲き誇る凌霄花(ノウゼン
カヅラ)など、頻りにシャッターを切られます。姥捨山の山容もくつきりと眺め
られる生憎の好天(勿論30度超え)、熱帶夜こそありませんが盆地(善光寺平の
南端)ゆゑ晝間は暑いのです。
 まことに手狹な住居ですが、「父の書齋を思ひ出します」とのこと、何はともあ
れ冷茶と氷菓を勸めたのですが、書架が氣になる御樣子にて暫くは立つたり坐つ
たり……。よく喋られる方なので、無言による氣まづい時間などは皆無、助かり
ました。晝食を挾んで6時間餘、樂しく過すことが出來ました。
 劉さんの日本語は中華訛りが殆ど無く見事なのですが、私が「凍頂烏龍茶」と言
つた時、〈ウン?〉といふ表情をなさいました。臺灣の銘茶を御存じない筈はな
いので、「トウチョウ」といふ日本式の發音に惑はされたやうです。「〈こおる〉に
〈いたゞき〉ですよ」と申したら、「嗚呼(あゝ)現地の發音と違つたので」と苦
笑、こんなことも起るのかと面白く感じた次第であります。
 『台湾を知るための60章』といふ御本を頂戴しました。臺灣人と日本人と合は
せて29名の方による共著で、歴史地理・政治経済・社会・文化芸術・対外関係・
人物など寔(まこと)に解りやすく紹介されてをり、私なども教へられることが
多いですね。劉さんも一章を擔當、「性的マイノリティ運動――戒厳令解除以後の
道のり」を執筆寄稿していらつしやいます。

 夕刻から天氣が崩れるといふ豫報が出てをり、此の邊りの夕立は土砂降りとな
ることも少なくないので、お歸りを少し早めるやう勸めたのですが、結局一粒も
降らず、申譯なきこととなりました。驛までの歸途、劉さんがスマホで撮られた
二人の影法師(右が劉さん、左側の私は自轉車を引き摺つてゐます)がちよつと
素敵なので載せておきます。

台湾を知るための60章 (エリア・スタディーズ147)

台湾を知るための60章 (エリア・スタディーズ147)

 翌日は午過ぎから豪雨となつたものの2時間ほどで止みました。夕刻、日頃お
世話になつてゐる地元のA-Nさんを招き、石堂藍さんが送つて下さつた冷藏タイ
プの甲州ワイン(かういふものがあるとは知りませんでした)の栓を抜きました
が、此れが赤も白も滅法吃驚物の美味しさ、呀といふ間に頂いてしまひました。
Aさん曰く「毎月、小淵澤に行きなさいよ」云々。