甲斐の國桃の里

 去年の夏、高原列車(JR小海線)に乘つて小淵澤まで石堂藍さんに會ひに行きました。
東京からいらした比呂さん(飯田克比呂さん)も交へて樂しき時間を過しましたが、
別れ際に「春は桃の花が見事だから、來年是非」とのお誘ひを受けました。
 周知のことですが、山梨縣は日本一の桃の生産地であります。開花時には邊り一面淡紅
(うすくれなゐ)に染まつて「宛ら桃源郷の如し」とか耳にしてゐた事でもあり、一度は
其の景色を見たいと思つてをりました。思ひは薄れることなく、過ぐる三月下旬、24日に
桃花見物を致したき旨のメールを差し上げたところ、折り返し御快諾の返信をいたゞき、
四月中旬にうかゞふことになつたのですが、其れから間もなく自轉車走行中に轉倒、右手
拇(おやゆび)に傷を負うてしまひました。其のことは先月末日のブログに記した通りで
あります。利腕が役立たずとなつた爲、甲斐まで出向けるかどうか、些か不安でしたが、
今月10日に抜絲が濟み包帶も外れました。腫れや違和感は殘るものゝ利手が使へるやうに
なつたので、石堂さんと相談して日程を決め、13日に出かけました。
 今囘は8時18分、篠ノ井から甲府行き(長野發JR篠ノ井線、松本經由中央本線直通)に
乘り、11時過ぎに小淵澤駅にて降車、石堂さんに出迎へられて自動車に。見物先など全て
お任せで甲府周邊に點在する幾つかの桃の名所を案内していたゞきました。
 最初に降り立つた所は韮崎市の新府といふ桃の産地、樹丈低き桃畑の傍らに櫻の古木が
何本も列なつてゐて、孰れも滿開、時々襲ふ強風に櫻が散つて見事な花吹雪を見せてくれ
ました。持參のデジカメにて何枚も撮つてみたのですが、薔薇科のやうに小さな花が凝集
して咲く花木は焦點が合せにくゝて巧く撮すのは難事ですね。

 新府の櫻と桃


 今囘も比呂さんが御參加、正午過ぎに到着といふのでJR甲府駅へ。道が少し混んでゐて、
石堂さんは「間に合はないのでは…」と頻りに氣を揉んでをられましたが、何でも特急の
【あづさ】に遲れが出たとやらで、此方が先に到着、比呂さんをお待たせすることは免れ
ました。次に目指したのは縣内最大の桃の産地(石堂さん曰く「即ち日本一の桃の里」」)
たる笛吹市一宮町、景色の佳い所を撰んで降車、暫し撮影に勤しみました。

 笛吹市路傍の桃畑

 其のあと「高臺からの眺望を是非」と私めが要望致しましたら、同じ一宮町内の釋迦堂
遺跡博物館といふ所へ案内して下さいました。かなりの人出であつたのですが、入館する
人は少なく、皆さん、見事な眺望に見とれるか、または廣い庭園を逍遙して盛りの花木を
賞翫なさる態(てい)と見受けられました。

 釋迦堂遺跡博物館庭園からの眺望 

 釋迦堂博物館庭園の花木




 晝食を攝らず午後2時迄お花見に興じた爲、一同空腹に見舞はれ、石堂さんの御案内を
得て、甲州市勝沼町(名だたるワインの産地)のミル・プランタンといふレストランへ。
石堂さんは別の店を撰定していらしたやうですが、場所が判り難かつたらしく、店構へで
判じて決められた由、でも中々美味でしたよ。

 車前方に現れし未だ冠雪せる八ケ岳

 レストランを出ると早や3時を廻つてゐました。小淵澤まで1時間近くかゝる由なので、
そろそろ歸途の算段を。來る際に乘つた篠ノ井線にはボックスシート(四人掛けの向かひ
合せ席)が無くて車窓の景色を樂しむことが出來なかつたので、小海線を撰擇しました。
4時過ぎに小淵澤に到着、比呂さんは30分頃の特急【あづさ】にお乘りになつて東京へ、
お世話に與かつた石堂さんと再會を約して私は38分發の小諸行きに。
 列車はガラ空きで、清里でもほんの數人が乘り降りしただけ。また案に相違して車窓は
未だ冬景色、花の氣配は全く無く、死の森のごとき枯木の樹間を行くやうでありました。
標高の高さに思ひ及ばなかつたのは不覺でした。五月以前に高原列車になど乘るものでは
ありませんね。
 小海を過ぎ、次の流馬(まながし)あたりからぽつぽつ乘客が増え、佐久平を過ぎると
歸りを急ぐらしき學生や勤め人で滿員となりました。6時48分小諸に到着、しなの鐵道
乘換へるや5分後に發車、7時33分に千曲に着きました。拇の怪我などで閉ぢ籠つてゐた
せゐか、久しぶりの遠出に些か疲れ氣味、早々と床に就きました。