晶子櫻詠帖***與謝野晶子櫻花詠私抄(朝彦撰)

〇清水へ祇園をよぎる櫻月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき

 七谷や七日(なぬか)がほどを風去(い)なず櫻ながるる山より海へ

 櫻人よし野の路の山駕籠の少女(をとめ)の君にさかづきまゐる

 さくら散る春のゆふべや廢院のあるじ上臈赤裳(あかも)ひいて來(こ)

〇くれなゐの布團かさねし山駕籠に母と相乘る朝さくら路

◎五六人をなごばかりのはらからの馬車してかへる山ざくら花

〇雲ゆきてさくらの上に塔描(か)けよ戀しき國を面影に見む

 三吉野のさくら咲きけり帝王の上(かみ)なきに似る春の花かな

 山ざくらやや永き日のひねもすを佛の帳の箔すりにけり

 春の水船に十たりのさくらびと鼓うつなり月のぼるとき           

 二三片御寢(ぎよしん)の床にそよ風の來しと申しぬ山ざくら花

 春吹くは聖天童のしろがねの矢かぜに似たり山ざくらちる

 羽じろの櫻の童子ねぶりたり春の御國(みくに)のあけぼののさま

 山ざくら愛宕まうではから臼の音ならびたる里の中ゆく

◎脅(おびや)かしさくら花咲く罪つくれ過ちせよとさくら花咲く

 櫻咲く彌生も海のできごとはいたましきかな沈む武人(もののふ

 人とする話を避けて與之助がまぼろしつくる山ざくら花

 さくら咲く羽紫のつばめとぶわれらのしつるかねごとのため

 松若と忍草(しのぶ)賣りつゝ櫻さく隅田の川をわれも行かまし

〇山ざくら銀の箔おく夜(よ)となれば作らまほしや塔に似る家

 悲しみの淺き底より咲きいでぬわが一もとの䖝のさくら

 君來よと望むあたりに行き給へさくらの花に孔雀の鳥に

〇山ざくら夢の隣に建てられし眞白き家のここちこそすれ

〇悲しくも亂れ散るなり檢非違使の夢を見たるや山ざくら花

 あけぼのはうす紫にひるは紅夕(ゆふべ)はしろき山さくら花

 かぐや姫二尺の櫻ちらん日は竹の中より現れて來よ

 紫の霞の段に置かれたり山もさくらもわかくさ山も

 七八本(なゝやもと)物語繪の花に似るさくらをおける湘南の村

◎二側のさくらの路に續けるを夢のさかひと思ひならひぬ

 おそざくら東鑑の大名のやしきあとより寂しや塚は

 風立てば錦の如しをさまれば螺鈿のごとし一本(ひともと)さくら

 山ざくら靜かなれどもなほ歌舞の國に隣りて咲くここちする

 夕より怪しく人の心もつ櫻の花となりにけるかな

 思はれぬ千とせの後の春の日に櫻かくして散り行くことも