金子國義さんの想ひ出

 既に報じられてゐるやうですが、畫家の金子國義さんが亡くなられました。訃報に接したのは昨日午前、森野薫子さんからのメールでした。前夜まではとくに變はつた樣子は無かつたのださうです。昨年、病に臥されたものゝ其の後恢復なさつて、此の一月から二月にかけて澁谷・東急本店横【Bunkamura Gallerry】にて《Les ailles de la beaute 美貌の翼》と題した『美貌帖』出版記念展を開催されたので、息災でいらつしやるものとばかり思ひ込んでをりました。オープニング・パーティへのお招きの通知をいたゞきながら、伺はなかつたことが悔やまれます。

 金子さんに初めてお目にかゝつたのは1960年代の末頃であつた思ひます。お友達の四谷シモンさんは未だ状況劇場の舞臺に立つていらつしやいました。よく覺えてゐるのは、高橋睦郎さんの詩の朗讀會にゲスト出演(妖艶なる女裝姿)されてギターの彈き語りを披露、自在に觀客(聽客?)を弄り倒して會主よりも喝采を浴びていらしたことです。
 その後、何度か御一緒に仕事をする機會に惠まれましたが、一番印象に殘つてゐるのは、
1974年に關西の某百貨店が原宿表參道に出したブティックのPR誌の依頼で執筆した《幻妖物語館》といふ掌編の連載です。私が5枚ぐらゐの掌編を書き、金子さんが裝畫を擔當なさいました。此の時は大井町のお宅に何度か呼んでいたゞき、夕食の振舞に與かつたりしましたが、料理の腕は名人級でしたね。肝心の連載は、當時としては格段の稿料で10篇ほど書く豫定でしたが、「金がかゝり過ぎる」とかの理由(さすが、上方資本)でPR誌自體が3號にて打ち切られてしまひました。活字になつたのは「月光浴」「誘惑」「白鳥の湖」の3篇、此れらは後に〈ババリア童話集〉として『惡靈の館』に収めました。引き續き、「流行通信」の金子さんの特集號に「リラの憶ひ出」といふ連作掌編を書いたりしてゐますが、其の掲載誌が見つからないので、《幻妖物語館》のみ書影を載せておきます。ほかにも、都營地下鐵三田線の車内でバツタリ顔を合はせた折の金子さんの惡巫山戯ぶりなど、想ひ出はいろいろありますが、其れは再たの機會に……。

「シェトワ」連載《幻妖物語館》

白鳥の湖

白鳥の湖」裝畫

 御一緒に寫つてゐるフォトが幾つかある筈なのですが、一つしか見當たりません。2005年2月某日、私の誕生會にお出で下さつたときのもので、松山俊太郎さんとの2ショットと共に御覽に入れませう(撮影は森野薫子さん)。此の時、金子さんは69歳、私より丁度10歳年長なのです。松山さんも既に亡くなられてをり、寂しきこと此の上もございません。合掌。

 左から須永、松山さん、金子さん

 金子さんと松山さん