モリセイとモリッシー

 前にもちよつと觸れましたが、ツイッターエゴサーチを設定してをります。昨日、十日ぶりぐらゐに開いたところ、過ぐる20日に、津原泰水さんが此のブログを御覽になつて次のやうに呟いて下さつたことを知りました。

 《須永朝彦さんブログの「あの人の愛猫」シリーズが最高。「ポール・モリセイ」と
 いう人物は明らかにモリッシーなので、スティーヴン・パトリック・モリッシー
 正しいです。》

 褒めていたゞいた上に、誤記まで指摘教示して下さり、恐縮してをります。私が見つけておいた件の畫像の元々のキャプションは〈Morrissey〉で、私の知つてゐるMorrisseyは映畫監督のPaul Morrisseyだけ、日本では彼の名はポール・モリセイと表記されてゐます。顔の形が些か違ふやうな氣もしたのですが、40年も經てば弛(たる)むかもなどと思ひつゝ、一應〈ポール・モリセイ〉で畫像檢索をかけてみたら、映畫のポスター・スチール・DVDなどの畫像ばかり、肖像は一向に出てこないので5頁ほどで切り上げてしまつたのであります。それにしても、綴りが同じなのに何故日本では映畫監督はモリセイ、ロッカーはモリッシーと異なる表記になつてしまふのか、不可解であります。
 寡聞にして私はMorrisseyと名乘るミュージシャンの存在を今日まで知りませんでした。早速調べてみると、1980年代に活躍した英國のバンド〈ザ・スミス〉のヴォーカルであつたとのこと、猫フリークとしても知られてゐるのですね。愛猫と一緒の寫眞もインターネット上に澤山出廻つてゐるので、幾つか載せておきます。どれも猫が寛(くつろ)ひでゐるのが瞭然(はつきり)と分かるやうなスナップですね。




 因みに私がクラシック以外の慰みに聽く音樂は一口に申せば〈シャンソン・タンゴ・フラメンコ〉、いま少し丁寧に言へば、歐州と中南米の歌謠すなはちカンシオン・シャンソンカンツォーネの類(たぐひ)、それも1920〜70年頃のものでありまして、ロックは殆ど聽きません。子供の時分、米國から齎されたエルヴィス・プレスリーポール・アンカなどの歌を日本人歌手がカヴァーしたものが否應なく耳に入つてきましたが、當時はロックンロールやカントリー・ウェスタンやポップスを一緒くたに扱つてゐた(日劇ウェスタン・カーニヴァルなど)やうな印象があります。
 其の後のロックの變遷などに通じる處は殆どありませんが、ザ・ビートルズの出現で日本の音樂シーンが一變、私の愛聽する〈シャンソン・タンゴ・フラメンコ〉などは次第にレコード店から姿を消し、つひには〈ワールド・ミュージック〉などといふ雅致なきジャンル名に詰め込まれるに至り、あの藤澤嵐子(亞爾然丁でも人氣を博してゐた本邦第一のタンゴ歌手)が夫の早川眞平(オルケスタ・ティピカ東京のマエストロ)ともども引退してしまつたほどです。

 それでもジ・アニマルズの「朝日の昇る家」(「朝日のあたる家」といふ譯題は甚だよろしくない)やレーンとザ・リー・キングス(瑞典のバンド)の「ストップ・ザ・ミュージック」などはたいそう氣に入つてゐて、今でも聽いてゐます。80年代にはデュラン・デュラン(美形揃ひ)のPVを見たり、曲など聽いたこともないアリス・クーパーの絞首ポスターを壁に貼つたりしてゐましたが、オルタナティヴ・ロックザ・スミスも全く知らなかつたですね。

 THE ANIMALS

 「朝日の〜」

 デュラン デュラン

 ポール・モリセイ(伊太利系?)は70年代にアンディ・ウォホールの意を體して映畫制作に携はつた人で、柊林の傳説的作品「サンセット大通り」のリメイク版などを撮つたあと、「悪魔のはらわた:FLESH FOR FRANKENSTEIN」「処女の生血:BLOOD FOR DRACULA」といふ2本の怪物ホラーを撮り、これが大當りたして一躍世界に名を知られる監督となりました。2本とも可なり佳い出來ですが、特に後者は怪優ウド・キアの好演もあつて、洒脱さに加へて哀愁を漂はせることにも成功、ヴァンパイア映畫の佳作と申せませう。私のお氣に入りは84年製作の「ベートーヴェンの甥:LENEUED DE BEETHOVEN」です。日本未公開ですがVHSテープは出てゐます。あの大作曲家が若くて美形の甥にしつこく附きまとつて厭がられる……といふ、獨特のgay-taste が樂しめる傑作であります。

 「処女の生血」

 
 「ベートーヴェンの甥」