MY FAVORITE SONGS ① リュシエンヌ・ドリール  ②布施明

♪物心がついた頃から樣々な音樂を聽いてきました。
 子供の時分は專らラジオです。音盤はまだ78廻轉のSPレコードの時代で
其れを聽く爲の電蓄(プレイヤー)を具へてゐる家などは數へるほどしか
ありませんでした。近所のお産婆さんの息子さんが持つてらしたので、ごく
偶(たま)に伺つて「ドナウ川の漣」とか「マドンナの寶石」など所謂セミクラ
シックの類を聽かせて貰つたのを覺えてゐます。
 あとは學校で「サンタ・ルチア」とか習ひましたよ。ラジオで最初に聽き
覺えた流行歌は、さあ、何でせう、「越後獅子の唄」「上海歸りのリル」
「黒百合の歌」などは今でも空で歌へますよ。
 タンゴ、ラテン、シャンソンなどを聽き始めたのは高校生になる頃から
ですね。その後は雅樂から江戸音曲、昭和一桁以後の流行歌(淡谷のり子
から郷ひろみまで)、歐州の古樂から現代のポップスまで、一つのジャン
ルに拘ることなく好みに合ふものを撰んで聽いてまゐりました。最近、
音聲をブログに貼り附ける術(すべ)も會得したことではあり、お氣に
入りの中から音聲貼附可能なものを時々アップしてゆかうと思ひます。


MY FAVORITE SONGS ①リュシエンヌ・ドリール「戀はせつなく」

 舊師塚本邦雄先生に初めてお目にかゝつた時(1966年8月某日)、
數時間に亙つてシャンソンのレクチャーを受けたのですが、まづ以下の
やうな應答がありました。飽くまでも記憶に基づくものであります。

 邦「女の歌手では誰が好きなの」
 朝「リュシエンヌ・ドリールです」
 邦「えッ、ぢやあ男は」
 朝「ティノ・ロッシです」
 邦「ふぅん、なるほどね」

 先生は周知の通り、〈筋金入りのシャンソン愛好家〉、いや〈真摯
なるシャンソン研究家〉でありました。
 廿歳の門人を御贔屓の三大シャンソン歌手《數多の歌手の中から
撰りに撰られたブラッサンス、ピアフ、グレコ》の信徒にせんものと
待ち構へていらしたのに此の應答、「ふぅん、なるほどね」には心なしか
落膽のひゞきが……。勿論、先生が推される三大歌手の持ち歌にも好きな
ものはあるのですが、シャンソンへの對し方に於て〈筋金入り〉でも
〈真摯〉でもなかつた其の頃の私は〈慰み〉となるもの、端的に申せば
〈甘く切ない唄〉、たとへば西班牙情緒ものとかタンゴやラテンの
リズムで歌はれる曲などを求めて聽いてゐたのであります。
 心優しき先生は、三大歌手に就いてのレクチャーを簡略に濟まされて、
私の爲にラケル・メレ(巴里で活躍した西班牙の歌姫)や、西班牙・
伊太利・中南米情緒を賣りものにしてゐたリナ・ケッティ、ジョセフィン・
ベーカー、リーヌ・クレヴェール(當時まだ日本ではリーヌ・クルヴェと
表記)、ティノ・ロッシなどの聽き處や逸話を語つて下さいました。
レクチャーは更にロシータ・キロガやメルセデス・シモーネなどタンゴ・
カンシオンの女聲にも及びましたが、最後までリュシエンヌ・ドリールに
觸れるところはありませんでしたね。
 イヴェット・ギルベール、ミスタンゲット、ダミア、フレール、
イヴォンヌ・ジョルジュ、リス・ゴーティ、リュシエンヌ・ボワイエ、
マリ・デュバ、エディット・ピアフジュリエット・グレコ、コラ・
ヴォケール、ピア・コロンボバルバラ……、將に綺羅星の如く連なる
シャンソンの女聲、其の歌聲からも多くの慰みを得てきましたが、
ドリールの其れには及ばないのであります。
 彼女の歌聲はハスキーがかつてはゐるものゝ、潤ひがあり、押しつけ
がましさが無く、聽くと夜霧に裹まれてゐるやうな心地がする……などと
申せば、何やら熱に浮かされた口吻めきますが、兎も角も癒やされるの
です。それから、特定の時代の色が薄く、いま聽いても古めかしさの
やうなものは感じられません。

 略歴を少し――Lucienne Delyle.1917年、巴里生まれ。39年、音盤
デビュー。50年代に人気沸騰、しかし57年、病(白血病)を得て療養
生活に。60年、復活を果たすも2年後に逝去。生涯に300餘曲を録音、
「ルナ・ロッサ」「ユダ」「アイ・ラヴ・パリ」「ドミノ」「私のジゴロ」「ジャヴァ」
等々ヒット曲は多いのですが、私が愛聽措く能はざるディスクは以下の
4曲であります。


【サン・ジャンの私の戀人:Mon amant de Saint-Jean】
https://www.youtube.com/watch?v=3O4BxW206OU&nohtml5=False
戰時中の42年發賣(巴里は獨逸軍の占領下)、初期の傑作と稱揚されて
ゐますが、日本人歌手がカヴァーし始めるのはフランソワ・トリュフォ
ー監督の「終電車」が公開された80年代初頭からですね。猶太人演出家の夫を
匿つて劇場を維持してゆく女優(カトリーヌ・ドヌーヴ)がヒロインです。
此の歌とリナ・ケッティの「ソムブレロとマンティーリャ」が實に効果的に
使用されてゐます。サン・ジャンは〈バプテスマのヨハネ祭〉のこと。

【戀はせつなく:Emportez mon amour】
https://www.youtube.com/watch?v=sB1TErFG2I8&nohtml5=False
確かラジオのシャンソン番組(當時は他にジャズ、タンゴ、中南米音樂
などの専門番組あり)で聽き、瞬時に魅了された記憶があります。
音盤はまだSPでした。佛蘭西出來の曲ですが、リズムはルンバ、流るゝ
ごときメロディとスローなリズムがドリールのあの聲をいやさらに引き
立てゝゐるやうに思ひます。因みにシャンソンとは唄・歌謡の意
(西班牙のカンシオン、伊太利のカンツォーネも同じ)ですから、
シャンソンにはルンバもタンゴもパソドブレもある譯です。

【瞳をとぢて:Fermer les yeux】
https://www.youtube.com/watch?v=5iKmihrZ2VQ&nohtml5=False
此れはドリール創唱とは知らず、先に東芝から出てゐた淡谷のり子
カヴァー盤(25糎LP『浮気女の嘆き』に収録)で聽きました。佳い曲
ゆゑ少し調べたところ、何とドリールの持ち歌と知れたので彼方此方
捜しましたが、其の時は見つかりませんでした)。後に東芝音工の
エンジェル・レーベルから出たLPを購入したやうな記憶があります。
歐州風の甘美なるタンゴ。70年代に平野レミの生歌を聽く機會があり、
其の巧さに一驚を喫しました。佛蘭西語の發音が日本のシャンソン
歌手の誰よりも素晴らしかつたのです。

【私の悲しい戀:Mes tristes amours】
https://www.youtube.com/watch?v=Qhzw340PcU8&nohtml5=False
此れも最初に聽いたのは淡谷のり子のカヴァー盤(ビクター專屬
時代のSP)でした。録音時、おそらくドリールの自覺無き儘に
白血病が發症してゐたのではないかとの憶測を誘ふ、憂愁を湛へた
歌唱で、何やら儚さが聽く者の胸に沁み入つて來るやうに思はれます。


MY FAVORITE SONGS ②布施 明「五月のバラ


【五月のバラ】
https://www.youtube.com/watch?v=gqM9sFadXpQ
作曲は服部克久(父は昭和ハイカラ歌謡曲の草分たる服部良一
息子は大河ドラマ真田丸」の音樂で最近評判の服部隆之)、競作で
何人もの歌手が吹き込んでゐますが、私は好んで布施明盤を聽いて
をります。彼の聲は未だ十代でカンツォーネなどを歌つてゐた頃から
好きでした。鹿内孝に代わつてTV番組「シャボン玉ホリデー」の
カヴァーボーイとなり、カンツォーネ以外の洋樂ポップスも歌ふ
やうになつたのかな……。バタくさい風貌だつたのでハーフかしら
と思つたりしましたが、段々日本人らしい顔になりましたね。
此處に貼りつけたのはライブ版(作曲者の記念コンサート?)です。
CDにも入つてゐて、流石にそちらの方が安定感があるやうです。
五月も終りなので、慌てゝアップした次第であります。

【愛の香り】
https://www.youtube.com/watch?v=1v4aXRgjp-k
一連の平尾昌晃ナンバー中、「おもいで」「銀の涙」「恋」「霧の摩周湖
「愛の園」に續く作品。シングル盤(45囘轉EP盤)は〈香りつき〉と
いふ特典があつて、實際に佳い匂ひがしましたが、半年くらゐで
消えてしまひました。一番好きな曲は'70エキスポの年に出た「鐘は
鳴る」ですが、平尾ナンバーではなく、またヒットもしなかつたので
知る人が少ないやうです。ネットで音聲を捜しましたが見つからない
ので、今囘は次善の撰擇であります。
「愛のこころ」「愛のカンツォーネ」「悲しみのバラード」「愛すれど
切なく」なども今では忘れられてゐますが、佳い唄ですね。


【わかっているよ】
https://www.youtube.com/watch?v=4p6hdbtPqfA&nohtml5=False
此れはエンリコ・マシアスのカヴァーです。舶來ポップスのカヴァー
には「時計」「愛は限りなく」「イル・モンド」「愛のわかれ」「帰り来ぬ青春」
「恋のサバイバル」「ボーイハント」「この世の果てまで」「ノスタルヒアス
(郷愁)」等がありますが、また其のうちに。