誠實なる怪人★江戸川亂歩

 亂歩は同性愛への關心を隱さなかつた。同性愛に關はる内外の古典や性科學文獻を渉獵し、それを踏まへて幾篇かのエッセーを執筆發表してゐるが、昭和戰前に於ては奇特なる文章と申すべきであらう。
 一口に同性愛とは申すものの、その樣態は多種多樣である。亂歩の場合、理想主義的傾向が顯著であり、古代希臘(ギリシャ)の少年愛=パイデラステイアと、我が國近世初期の衆道(しゆだう)にその理想を見てゐたらしいことは、彼のエッセーや稻垣足穗の「E氏との一夕」などによつて容易に知られる。同性といふより少年、更に言へば〈中間の性〉に憧れてゐたのだと推量しうる。
 書齋に掲げてゐたといふ村山槐多の繪に就いて記した「槐多『二少年圖』」などには一種情熱的な口吻のごときが讀み取れるが、同性愛關連のエッセーから亂歩その人の肉聲はあまり聞えてこない。むしろ初期の自傳的文章に本音が窺へるやうで、大正15年發表の「亂歩打明け話」には數へ年15歳の折の同級生(相當有名な美少年云々)との戀が初戀として語られてゐる。

「つまりよくある同性愛のまねごとなんです。それが實にプラトニックで、熱烈で、僕の一生の戀が、その同性に對してみんな使ひつくされてしまつたかの觀があるのです」とあり、この「雙方對等」で「實行的なものを伴はない」プラトニック・ラヴの後、つい戀愛といふものをしなかつた(「ある意味において戀愛不能者であつた」「戀愛と結婚を別物に考へてゐた」云々)といふのだから、たゞごとではない。 昭和12年末に筆を起した三人稱の自傳「彼」に於て、亂歩は再び件(くだん)の初戀を語らんとするも中斷、後に「恥かしくて書けないのである」と申し開いてゐる。エッセーや自傳的文章によれば、亂歩は〈性愛〉と〈戀愛〉を峻別し、しかもプラトニックな少年愛に〈戀愛〉の至高の相(すがた)を見てゐたといふ事にならう。此の戀愛觀は小説にはあまり反映されてゐないやうに見受けられるが、仔細に讀めば、隨所に嗜好は認められる筈である。
 縁日の見世物さながらに〈變態物〉を書き繼いだ亂歩ではあるが、同性愛を描いた作品は『孤島の鬼』一篇しかない。この通俗長篇(作者曰く)は、作者も主人公の「私」も同性愛を「異樣な戀」として否定してゐるものの、それは飽くまでも建前で、本音は少しも厭がつてはゐないといふ、煮え切らない實に奇妙な小説であり、そこに亂歩の苦心を見るべきなのかも知れない。作品自體は、畸形・人外境・迷宮などを取り合せた構成に異樣な迫力があり、「賣文的駄小説」といふ亂歩自身の否定的評價に反して傑作である。
 同性愛を眞向から採り上げたものは『孤島の鬼』一作に盡きるが、他に少年愛的趣向を織り込んだ作品が無い譯ではない。大體に於て亂歩の小説では、美女の描寫は形容が類型的で、美少年美靑年の場合の方がずつと精緻に描かれるのだが、それが際立つてゐる作品が幾つかある。
 たとへば『大暗室』。「ギリシヤ彫刻のアドニスのやうな美靑年」で「惡魔の申し子」たる大曾根龍次と、「正義の騎士」たる有明友之助といふ異母兄弟が對決する大活劇だが、これは曲亭馬琴の『近世説美少年録』の書替に他ならない。
 また明智小五郎物では後期の作に屬する『暗黑星』。こゝでは明智は「女のやうに美しい二十歳あまりの靑年」伊志田一郎に心囚はれて、「不思議な靑年だ。胸の中に冷たい美しい焔が燃えてゐる感じだ。その焔が瞳に寫つて、あんなに美しく輝いてゐるのだ」などと呟くのである。
 更に申せば「一郎はベッドの明智の顏の上にかゞみ込むやうにして、親しげに挨拶した。その樣子には事件の依頼者と探偵との關係ではなく、何かしら父と子、或ひは兄と弟のやうにうちとけたものが感じられた」といふやうな描寫の背後には、〈少年愛〉乃至〈衆道〉への憧憬が透けて見える。その點に關しては、そもそも明智が最も怪しき登場人物なのである。
 明智小五郎は一應妻帶者ではあるが、妻の名を記憶してゐる讀者は少ないのではないか。文代さんの名は極く稀にしか現れず、甚だ影が薄い。明智の身の廻りの世話に勤(いそ)しむのは「十五、六歳のリンゴのやうな頬をしたつめえり服の少年」すなはち小林芳雄であり、『化人幻戲』に至つては、明智夫人は高原療養所に追拂(おつぱら)はれて、探偵は「小林とたゞふたりの暮らし」を樂しむのである。
 亂歩は此の師弟をクローズアップするために少年探偵團のシリーズを企てたのではあるまいか。そして、この美(うるは)しき師弟愛に楔を打ち込む役割を負ふ者として、すなはち小林少年の誘惑者として怪人二十面相を登場させた。「すらつとした好男子」「年もまだ三十前後」といふ二十面相も、なかなか素敵なのである。

 ★僕、先生のおつしやることならなんだつてやります[小林芳雄・談]

 ★ぼくはかわいくて仕方がないほどに思つてゐる[怪人二十面相・談]

 (1994年「太陽」6月號《特集・江戸川乱歩》/1998年6月・平凡社コロナ・ブックス『江戸川乱歩』)