櫻どき東京滯在記
十年もののXPが、マイクロソフトの手當が絶えてからといふもの、あちこちに
不具合を生じ、其れは竟(つひ)にメール機能にも及び、仕事にも差閊へるやうに
なりました。將にいつ潰れてもをかしくない状態に立ち至つたわけであります。
其處で、ワープロ專用機からPCに移行したとき以來、一から十まで御教示に
與(あづ)かつてまゐつた我が電脳教授ヒロさんこと飯田克比呂さんに新機種を
撰んでいたゞきました。舊機からの設定等の移行も自力では儘ならず、御教示を
仰ぐために上京、あはせて友人たちとも交歡の刻を過してまゐりました。
【3月31日】午後2時過ぎ、上田から新幹線に乘車、5時に、礒崎純一さん、
吉村明彦さん、服部正さん、小川功さんと澁谷にて待ち合せ、舊臘忘年会以來の
再會であります。吉村さんの御案内で櫻丘町のタイ料理研究所(レストラン)へ。
途中、坂の櫻が滿開、外氣温も未だ下がらず、澁谷の夜櫻を堪能しました。
礒崎さん(国書刊行会出版局長)が《新編 日本幻想文学集成》内容見本の校正
刷りを持參、數箇月後に愈々刊行の運びとなるさうです。四半世紀前に刊行された
一作家一巻の《日本幻想文学集成》全33巻を解體、新たに各巻4〜5人収録の
大冊版に編集したものであります。舊集成は収録作家を故人に限定したものゆゑ、
今囘は前集成完結後に逝去された4人の作家を新たに収録、其の【日影丈吉・
倉橋由美子・中井英夫・安部公房】集が第一囘配本となります。此の巻の解説には
山尾悠子さんや諏訪哲史さんなどが當つてをられます。
ほかにもいろいろな話題で盛り上がりましたが、差し障りもあるので爰には
記しません。8時過ぎ、礒崎さん小川さんの御歸宅を見送り、吉村さん服部さんと
バー(店名失念)に立ち寄り暫し歡談した後、服部さんと別れて吉村さん宅へ。
此のたびもまた寄せていたゞきました。
【4月朔日】午後1時、銀座で柿沼裕朋さん(NHKディレクター)と待ち合せ。
亞西亞系觀光客の人波を避けて並木通りの松崎煎餅喫茶室へ。流石に此處には
觀光客の姿は見當らず極めて閑靜、郡司正勝先生の思ひ出など、ゆつたりと話を
交はすことを得ました。
夕刻、一度滯在先に戻り、吉村さんと御一緒に小田急の經堂驛へ。19時に四谷
シモンさんのアシスタント菅原多喜夫さんと待ち合せ。シモンさん・多喜夫さんと
會食かと思ひきや、今囘は篠原勝之さん(ゲイジツ家のクマさん)や丹羽蒼一郎さん
(故松山俊太郎さんの後見役を務められた植木屋さん)もいらして、シモンさん
行きつけの伊太利レストランへ。お二人とは初對面でしたが、直ぐに打ち解けて
樂しい刻を過すことが出來ました。
2月から英京倫敦のテート・モダンにて《Performing for the Camera》といふ
大規模な寫眞展が開催され、細江英公氏が「シモン・私景」シリーズから自ら撰んだ
シモンさんの肖像寫眞が展示されてゐるさうです。其の立ち會ひのため、シモンさん
と多喜夫さんは2月中旬に渡英された由、其の折のお話なども伺ひました。
倫敦滯在中、大英博物館やバッキンガム宮殿、ロイヤル・フェスティヴァル・
ホール、植物園などに出向かれたさうですが、テート・ギャラリーを訪れた際、
多喜夫さんが彼(か)のジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」を具
(つぶさ)に見ていらしたら、館員が近づいて來て「繪の傍にお立ちなさい」と
言つて寫眞を撮つてくれたとのこと、其の寫眞も頂戴しましたよ。
【4月2日】午後1時過ぎ、地下鐵銀座線田原町驛で降車、国際通りに出て
西淺草のヒロさんのお宅へ。すぐ傍の國際劇場(松竹歌劇團常打ち小屋。子供の
時分に何度か入つてをり、當時人氣絶頂の川路龍子や小月冴子を見た記憶があり
ます)跡地が現在はホテルになつてゐて、其のせゐか近邊は内外からの觀光客で
賑はつてゐました。
此の訪問は、ヒロさんに撰んでいたゞいたPCの新機種を受け取るためであります。
送致濟みの舊PCの中身は既にヒロさんが大方を新機種に移しておいて下さつたので、
レクチャーは主に舊PCと新機種との大きな相違點でした。頽齡のせゐか中々一遍
には呑み込めないので、細かいことは追々詰める事として、新機種の後日送致を
お願ひして8時過ぎに辭去しました。
此の間(かん)、4時頃に一旦休憩、淺草寺近邊の櫻を見に外出、花屋敷通りを
六角堂に出て紅枝垂の一本(ひともと)櫻を見物してから本堂の前を横切り川縁の
隅田公園へ。土曜日の夕刻、折から公園の染井吉野が滿開で大變な賑はひでした。
強風も吹かないのに年經た古木から頻(しき)りに花瓣(はなびら)が散るので
見上げたら、何と數十羽の目白が囀りながら花の蜜を吸つてゐるのでした。東京の
下町にこれほど多くの野鳥が飛來してゐる光景に一驚を喫しました。
【4月3日】此の日は《国芳イズム》といふ展覽會を觀るために吉村さんと練馬
區立美術館へ。現地にて曽根睦子さん(人形作家・畫家)・村上佳子さん(郡司
正勝先生のお嬢さん)と待ち合せ。
澁谷から副都心線に乘りましたが、この地下鐵のホームは地下3階で、一人では
到底辿り着けさうにありません。西武池袋線乘り入れの電車に乘車、まづ練馬驛で
降車、此處で曽根さんと合流、偶然同じ電車に乘り合せてゐたのでした。
鈍行に乘り換へて美術館最寄りの中村橋驛で降車。實は美術館内で待ち合せの
約束だつたのですが、私も曽根さんも改札口外と思ひ込んでゐて(此れまで改札を
出た所で待ち合せることが多かつたので……)、中々お見えにならない佳子さんを
待ち續けるといふ失態を犯してしまつたのです。因みに吉村さんには待ち合せ場所を
傳へてゐなかつたので、彼は此の失態には無關係であります。佳子さんは携帯電話を
お持ちではなく(私も持つてゐません)、迷はれたのではないかなどと段々心配に
なつてきました。30分を過ぎた頃、曽根さんが「美術館の中でといふ約束ぢやなかつ
たかしら」と思ひ出して下さつたので、己が迂闊さを恥ぢつゝ慌てゝ美術館へ。
一頻り佳子さんに謝罪、輕く受け流して下さつたので休心、展示場へ。
今囘の展示品は全て、洋畫家、また國芳作品蒐集家として知られる悳(いさお)
俊彦氏の所有になるもので、保存状態は極めて良好、美品揃ひでした。私が一文を
寄せてゐる国書刊行会版『国芳妖怪百景』の圖版も悳氏の提供を受けたものであり
ます。驛近くの大通りの櫻(片側並木)が滿開でしたので、歸途暫し逍遙、散り頻る
花を樂しみました。
【4月4日】正午、井の頭線吉祥寺驛にて稻田雅子さんと待ち合せ。隠れ家風の
中華料理店で晝食を攝つたあと、井の頭自然文化園へ。花時なのに然(さ)まで
混雑してをらず、ゆつたりと園内を歩くことを得ました。
だいぶ前から眞央あたり大きな放飼場で見かけた屋久鹿や眞鶴は健在、栗鼠の
小道も變らぬ樂しさ。本土狐・狸・穴熊・白鼻心・フェネック・日本鹿・日本羚羊
(カモシカ)・豪猪(ヤマアラシ)などは代が變つてゐるかも……。
見られる時間が限られてゐる象の花子には會へませんでしたが、前囘會へなかつた
對馬山猫を見ることが出來ました。分園の水生物園の鳥類や淡水魚・爬虫類・両棲
類・水生昆蟲なども見たかつたのですが、連日の他出で些か疲勞氣味、再たの機會を
待つことに。
【4月5日〜8日】5日午前10時前、吉村さん宅を辭して北千住へ。東武伊勢崎線
11時2分發の特急に乘り足利へ。此處でも櫻が滿開、6日に鑁阿寺(ばんなじ。
源姓足利氏の居館を氏寺となしたもの)近邊を散策しましたので、土塁(鎌倉時代
建設)の櫻を撮つてみました。堀の巨鯉なども寫しておいたので、此れは亦其の
うちに。天候がめまぐるしく變り7日は雨天、致し方なく專ら讀書、結局歸宅は
8日午後となりました。
鑁阿寺多寶塔と枝垂櫻・鑁阿寺土塁の櫻・山門と太鼓橋を臨む