遠路遙々、秋のお客さま

 過ぐる9日(月)、京都から遠路遙々森野薫子さんが訪ねて下さいました。一昨年の師走、東京で
お目にかゝつてゐるので1年10ケ月ぶりですが、當地來訪は13年の晩春以來です。その折は東京から
飯田克比呂さんも見えて合流、地元の友人中村さんの御案内を得て、長野市芋井の神代櫻や須坂市
桃畑(千曲川河川敷)を見て廻つたことなどが想ひ出されます。其の比呂さんが今回もお出でになる
筈でしたのに御都合が變つて見えなかつたのは殘念でした。
 薫子さんは名古屋で特急しなの(中央本線篠ノ井線直通)に乘換へて篠ノ井で下車、しなの鉄道
に乘換へて13時過ぎに戸倉驛に御到着、今回も中村さんが車を出して下さり(地方では車無くしては
移動に窮します)、薫子さんの御希望を容れて、まづは姨捨の棚田へ。大方の田が稻刈りを濟ませた
後で觀光の時季は過ぎてゐましたが、好天に惠まれ遠く善光寺平まで見晴るかす千曲川沿ひの眺望を
見ることが出來ました。次に松尾芭蕉の塚があるといふ近くの長樂寺へ。芭蕉の句碑は無いのですが、
新舊地元俳人の句碑が建ち並び、宛(さなが)ら俳諧寺の趣、投句箱まで据ゑられてゐました。

 姨捨の棚田から眺められる長野盆地千曲川が蛇行、奧の方が善光寺平)

 長樂寺入口に建つ芭蕉翁面影塚

 境内に据ゑられた投句口

 矢筈芒(鷹の羽芒)越しの小梵鐘

 投宿先旅館のチェックインが17時以後といふので、私の住居(すまひ)へ。地産の梨・葡萄や薫子
さんお持たせの京都のお菓子を並べて暫しのティータイム。16時頃、中村さんは御歸宅。夕食まで、
久しぶりに積もる話に刻を過しました。
 夕食は薫子さんお持たせの京都は〈いづう〉の鯖姿壽司、乙な屋號は創業者〈いづみや卯兵衞〉を
縮小したものださうです。私は鯖の棒鮨が好物で、今回は比呂さんにお願ひした(一昨年來訪の折、
お持ち下さつた鯖鮨が絶品でしたので)のですが、急に御都合が變じた爲、薫子さんに代りに誂えを
頼まれたとのこと、痛み入る御配慮に感謝。寔に美味でありましたが、何分大きく分厚い鯖の半身に
たつぷりの酢飯、私が鷄の唐揚げなども用意しておいたので迚ものことには食べきれず、殘りは私が
翌朝おいしくいたゞきました。チェックインの時限が21時までといふので、20時半過ぎに薫子さんは
タクシーにて上山田温泉街の亀清旅館(入婿の當主は亞米利加人)へ。
 翌朝、薫子さんの御希望(千曲市の觀光パンフレットを御覽になつて撰定)で「大壁造りや土蔵が
建ち並ぶかつての宿場町」といふ稻荷山へ。中村さんがまた車を出して下さり、2時間ほど共に散策
しましたが、近年頓(とみ)に足腰が衰へつゝある私は始終遲れがちで時々お二人の足を止めさせて
しまつたやうであります。觀光客が見當らないといふより殆ど人影が無く案内所なども閉まってゐて、
私は町並にも寂れた觀を覺えたのですが、薫子さん曰く「レトロ投げ遣りな雰囲気があって古い建物
好きの私としては結構楽しめました」云々、なるほどさういふ見方もあるのかと、己の狭量に更めて
氣づかされました。

 稻荷山のメインストリート

 古き土藏の由緒書(立札)を讀む薫子さんと中村さん

 以下3枚は薫子さんが撮影されたもの


 中村さんが御用事で篠ノ井まで行かれると伺ひ、薫子さんが歸途篠ノ井驛から名古屋行きの特急に
乘られるので私達も引き續き同乘、驛前で下ろしていたゞきました。
 驛前から眞直ぐメインストリートが伸びてゐるのですが、此處も人影が少なく閑散としてゐました。
それでも書店・菓子店・逭果店など目を惹く店もあり、賣れ殘りの新書や文庫等を百圓均一で並べて
ゐる本屋さんで私はイバーニェス(永田寛定・譯)の岩波文庫版『血と砂』(架藏してゐますが高校
時代に買つて何度も讀み返したので今やぼろぼろ、因みに此れは1939年刊の初版本、此の店で需めた
ものは1992年刊の第七刷)など3冊を購入しました。
 薫子さんは、贈答向きの品が並ぶ菓子店にてお土産用に數點御調達、また地産の果物野菜を並べた
逭果店では廉価に驚かれて林檎數種・蕃茄(トマト)・茄子・逭椒(ピーマン)などをお買ひ上げ、
京都では關東以北の逭果が高額の由、次回は行商人スタイルでお出でになるさうです。
 近くには見るべき名所なども無ささうなので、少し時間を早めて14時12分發の特急しなのに乘車、
歸途に着かれました。薫子さんは一見華奢に見受けられますが、實は私などよりずつとタフでいらつ
しやるといふことが今囘御一緒してわかりました。再た來春のお越しをお待ち申してをります。