友人來訪、人形歸還、郡司先生肉筆句集

 一昨日、曽根睦子さん(人形作家・畫家)と村上佳子さん(郡司正勝先生のお孃さん)がお出で下さいました。四月、上京した折にお會ひして以來ですから半年ぶりです。
 午前9時前、しなの鐵道千曲驛にてお迎へしました。お二人とも愛猫家、外泊する譯にはゆかない由にて日歸りゆゑ、暗いうちにお宅を出てらしたさうです。

 四半世紀以前のこと、曽根さんの人形展にて出遇つた一體の少年像に甚(いた)く魅せられた私は、此れを讓り受けました。初見時、硝子の部屋に閉ぢ込められた孔雀の精の如き印象を得たので勝手に《the Prince of Peacock》と名づけ、舊居築地明石町の應接室兼書齋のサイドボード樣書棚の上に長らく飾つてをりました。
 然るに彼(あ)の東日本大地震の折、此の部屋では数基の書棚が倒壊、書籍が或は崩れ落ち、或は宙を飛び、其の煽(あふ)りを受け、硝子扉や花器・陶器などが割れて破片が絨毯の上に散らばり……目も當てられぬ態(さま)となりました(同様の目に遇はれた友人多し)。居間や臺所も酷(ひど)い有様でしたが、氣を取り直して片づけを開始。
 件の人形は床に轉げ落ち、本に埋もれてゐました。Princeを閉ぢ込めてゐた鐵の扉が外れてしまつたものゝ硝子は割れてをらず、人形も無事の體(てい)と見えました。半年か一年ぐらゐあとか、曽根さんに此の事を申しましたら、「直ると思ひますよ」と仰つたので、後日お預けしたのです。昨年の初め頃「直りました」との御連絡を受けました。年に二〜三囘は上京するのですから、その折に受け取ればいゝやうなものを、何故か歸途は荷物が増えてしまひ延引、曽根さんが「そちらに一度行きたいと思つてゐたからお持ちしますよ」と仰つて下さり、此のたびの御来訪となつた次第であります。
 歸還した人形の寫眞を此處に載せようと撮影にかゝつたのですが、硝子面に餘計なものが寫つてしまひ、なかなか巧く運びません。それに、肝心の孔雀の羽の色が捉へられないのです。此の手の撮影は難しいものですね。置き場所や向きを變へながらシャッターを押すこと十數囘、漸く一枚あの緑金色を捉へる事を得ました。失敗例も一枚。

 お二人には〈おみやげ〉を澤山いたゞきました。こちらからおねだりした鯖鮨(此の邊では見かけません)は日本橋大増の見事な棒鮨が齎され、久しぶりにあの味を堪能しました。お持たせの巻壽司などで遲めの朝食、午(ひる)までの間、久闊を叙した次第であります。
 そのあと、戸倉驛前の萱葺きの古民家、其の店名も〈萱〉といふ蕎麥處へ案内して晝食を頂きました。曽根さんが「コスモスの寫眞を撮りたい」と仰つてゐたので、何處にでもありさうな花ゆゑ驛の近邊で探しましたが、案に相違してなかなか見つかりません。漸く小さな花叢を見つけ撮影していたゞきましたが、曽根さんは今朝がた千曲驛から私宅までの途次にて見かけた群落の方にお心が殘つたやうで、申譯なく思ひました。お別れしたあと、歸宅して其の群落を撮り、メールに添附して送信しましたが、夕刻が迫つてゐたせゐか、あまり巧く撮れませんでした。それが下の畫像です。

 最近、郡司先生の御遺品の中から、お手造りの和本仕立の句集が出てきた由にて、佳子さんが現物をお持ち下さいました。かういふものは御生前に大體見せていたゞいてゐるのですが、此れは未見であります。
 版型は昔風に申せば袖珍本(しうちんぼん、葉書ほどの大きさ)、表紙は墨一色の木版で『句集 湖切』、扉には「西朔句集」とあります。西朔は先生の俳號です。総て毛筆書き、御自筆の插畫が五點、句には朱筆推敲の跡が認められ、疊紙(たゝう、包紙)には何と白樺の樹皮が用ひられてゐます。作製時期は戰後間もない頃と推定されます。先生は私版や遺句集も含めて三冊の句集を遺されましたが、其れらに収録されてゐる句と此の『湖切』との關係を佳子さんは確認なさりたい由なので、暫くお預かりすることに致しました。書影を爰に掲げておきませう。


★深まる秋色−サフラン・木の實・紅葉など

 サフラン

 秋冥菊

 一位(柴松、あらゝぎ)

 滿天星(ドウダンの紅葉)

 名稱不明です

 檀(マユミ)

 干柿